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9月23日、24日の連休を利用して、【能楽のふるさとを伝え残そう】のロケハンを行って来ました。 【能楽のふるさとを伝え残そう】の事業内容、詳細については、こちらをご覧ください。 http://www.aoniyoshi.us/layerbox/110923-noufuru.htm -------------------- 1日目は奈良阪にて。翁舞を1300年以上も保存してきた「翁講」の松岡嘉平治会長にご挨拶し、舞台となる奈良豆比古神社に隣接している博物館をご案内いただきました。 翁舞の由来、縁起、殺された能楽師の話、神社の由来、奈良阪の町の変遷など、小一時間はお話くださったでしょうか?91歳とは思えない矍鑠(かくしゃく)たる力強いご講義に、圧倒されます。 ★「殺された能楽師の言い伝え」については、2010年10月6日付けのブログをどうぞ。 http://2010aoniyoshi.at.webry.info/theme/a522350caf.html 貴重な資料も次々と「手にとって」見せてくださいます。 10月8日は、奈良国立博物館に保管している能面も出てきて、一般公開されます。 京都国立博物館の協力を得て修復していた狩衣(かりぎぬ)も、三年がかりの修復を終えて、戻って来ました。 ぼろぼろになっていた(写真上─左下。色もかなり茶色い)装束を、糸から再現して修復(写真下、鮮やかな朱色、金糸も見事に再現された)する技術を持つ職人がもう、今はほとんどいないそうです。 修復費用700万円。 現在、奈良国立博物館に収蔵されているのですが… 「文化財は庶民のもの!」 あくまで誰でも「触れられる」文化財を!を提唱して、文化庁や教育委員会と異にする考え方を主張し続けていらっしゃる松岡会長。 「今度の祭りのときに、みんなに見てもらえたらいいのだけれど…」 奈良阪の町史ともいえる資料も、やっと分類と目録が整理できたきりで。 紐解いて、何が書いてあるのかまでは到底、知るところではありません。 今回、特定非営利活動法人 Layer Boxで主催する「能楽のふるさとを伝え残そう」プロジェクトでは、3D撮影による文化財の保全を試みます。 大学で、もっとも3D環境が整っていると言われる関東学院大学工学部のファシリティーと技術力(海老根秀之研究室)をお借りします。 ただ撮影側には奈良の文化財における背景がありません。 そこで、奈良教育大学国文科の永池健二教授と、ゼミ学生さんに協力をお願いし、その見所を事前に下見(フィルムコミッション)し、どのように撮影すれば良いかを提案してもらおうというもの。 (写真は、秦樂寺での採寸のようす) 23日の下見は、高知大学名誉教授の井出教授にもご参加いただきました。 中世の文化、能楽を初めとする伝統芸能と歴史、民俗学にまで造詣の深い先生のご指導の元で、勉強されている学生さんだけあってたいそう熱心な様子。 博物館内を次々とスチール撮影し、松岡会長の話を録音、録画し、古文書へのアプローチも、ただの「見学」とは少し様子が違っています。 一生懸命メモしてたけど、一体何をメモしていたの? 何の変哲もない、虫の喰った和紙に剥げ掛かった墨で書かれた文字の羅列…しかし価値を認める人には、たいへん貴重な資料となるのかも知れません。 ただ教授によると、 「歴史学、考古学、民俗学をやってる人には価値があるかも知れないね」 それぞれに専門があって、微妙にアプローチの仕方が違うようです。 またほとんどが「口承(口伝)」で残してある」ので、きちんと次の世代に語り継がれてゆかなければ、そこで途絶えてしまいます。 これは、偉大なる文化のリレーです。 少子化を憂うまでもなく、大きな歴史的価値観の変遷によって、消えていった日本文化の列記には暇がないほど。 しかしこの大いなるリレー作業が、私は「平和で安寧なる世の中を維持する」ことに繋がると思っているのです。 -------------------- 昼からは田原本町にある、能楽に縁のある秦樂寺、補厳寺(ふがんじ)、村屋神社(守屋神社)を訪ねました。 秦樂寺(じんらくじ)は、聖徳太子の寵臣、秦河勝(はたかわかつ)=能楽の祖と言われた=菩提寺です。 補厳寺は、佐渡に流された世阿弥が、娘婿の金春禅竹に助け出され、妻の寿椿禅尼とともに過ごした寺です。 その消息が杳として分からず、最近になってやっと「補厳寺」が、「ふがんじ」と読むのではないか?という推論のもと、古文書を調査して、納帳からその名を発見したのでした。 私は二年前、ぶらりとこの寺を訪ね、応対してくださった八木さんから、納帳を見せてもらいました。 今は町の重文に指定され、簡単に見せていただくことが叶わなくなってしまいました。 貴重な文化資産を守るためのご苦労を思うと、奈良阪の松岡会長とは逆の考え方ですが、形を重んじて遺してゆくのか、触れた人々の記憶を紡いでいくのか…さまざまな考え方があって良いと思います。 「秦樂寺」「秦樂寺」については、2009年10月24日、25日のブログ記事をどうぞ。 ★怨霊伝説と、能にまつわる数奇な運命 〜その1〜(秦樂寺) http://2010aoniyoshi.at.webry.info/200910/article_11.html ★怨霊伝説と、能にまつわる数奇な運命 〜その2〜(補厳寺) http://2010aoniyoshi.at.webry.info/200910/article_12.html -------------------- 村屋神社(守屋神社)は、物部氏ゆかりの神社です。 実はこの物部氏、どこから来たのか。 天皇家の系列より先に、このあたり一帯(のちのヤマト朝廷)を支配していた王国と言います。 なぜ神武天皇に国を譲ったか、壬申の乱の謎、平城遷都での待遇の謎、なぜ出雲に閉塞したかなど、不可解な点が多すぎる、謎の一族なのですが。 実は私の知り合いに末裔の方がいらして、権禰宜さんにそのことをお伺いすると「自分のルーツを訪ねにいらしたのが、その方では?」というお話。 1300年以上前の自分のルーツを探しに、土地の者以外には誰も知らないようなこの神社にたどり着く…ミステリアスなロマンを感じたのでした。 -------------------- さてさて、そんな不思議の旅の1日目を終え、学生さんたちも、いろいろ貴重な体験をされたようで、私自身もますます奈良の妖しい魅力に…片足ならぬ、両足ハマってしまった心持です。 さらに車中、先生方から、中世から伝わる奈良県のとある地域のものすごく価値ある文化資産の話しを聞かされて、心かき乱されました。行きたい!見たい!知りたい! …自分の行く末がちょっぴり心配です。 ※ロケハンの記録は、スチールカメラとビデオカメラを奈良教育大の学生さんたちに渡して、交代で撮影してもらいました。今日の掲載写真は、その中からピックアップさせていただいたものです。 |
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益々ご活躍驚いています、砂名さんの記事を見ていると、奈良の魅力が深いですね、私は村屋神社は戦争中柳本にあった飛行場の飛行機を隠した場所と聞いていましたが、深いですね、由緒のある神社とは聞いていましたが、改めてビックリしています、もっと色々教えてくださいね |
makotan 2011/09/26 23:13 |
できるだけ、自分の足で歩くようにしていますが、まだまだ本の受け売りに過ぎません。 |
月森砂名 2011/09/27 10:27 |
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